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毒キノコを最初に食べた人

更新日:10月12日

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これ一本で間違いなく死ぬドクツルタケ


「ナマコを最初に食べた人は勇気がある」とは夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の一文だが、これは現在の感覚で古代人の食生活を判断しているだけで、全くナンセンスだ。太古の食料事情を考えれば、見た目が悪いから食べないなどという余裕はなかったはずだ。とりあえず身の回りのものはすべて、どうにかして食べるのが最優先事項であったはずだから。また、当時の人々はナマコの見た目に嫌悪感を覚えなかったかもしれない。

 一方、肉食になじんだ現代人にしても生きている牛を見て「オイシソー」と思いはしない。ナマコが昔から食べられていたのは「日本書紀」に記されているが、古代人の対ナマコ感も似たようなものだったでしょう。ナマコを見て美味そうだとは思わなくても、経験的に食用可であることを知っている、といった状態。


また、飢餓状態が普通であった時代に、見た目が美味しそうなものだけ食べる、などという余裕はありえないのだ。なんであろうと、どうにかして食べなければ死んでしまう状況なのだから。牛肉にしても、それを初めて食べた人は切羽詰まっていたことだろう。何千年前のことか知らないが、「はじめて」の牛肉は霜降りステーキ300gが切りそろえて差し出されたわけではなく、死肉をおそるおそる口にしたのだろうから。


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白戸三平「文庫版カムイ伝5巻」より。江戸時代初期にこんな発想はなかったと思うが・・・


一方、毒キノコを最初に食べた人には勇気があったと言えるかもしれない。得体のしれないキノコにしても、これもまた食べざるを得なかった状況だろうから厳密には勇気とはいえないが、冒険心というか、一歩踏み出す意欲があってこそのことだ。


というのは、キノコ食そのものが定着した時代であっても、毒キノコの犠牲者は少なからずいたはずだ。死なないまでも腹痛を訴えたりして、食べてはいけないキノコがあることは知られていたはずだ。それだけに初見のキノコについては慎重にならざるを得ない。太郎さんの採ってきたイグチは美味しかったけど、太平さんは似たようなのを食べて死んじゃった(実話・タイヘイイグチ)ということが少なからずあったわけだから、キノコを食べざるをえない(ほかに食べ物がないからね)ときでも逡巡したことだろう。

 そこを一歩踏み出して口にしたのは、食べて死ぬか食べずに死ぬかといった極限状態だったからかもしれない。まさか死ぬまいと楽観していただけかもしれない。こうした経験を通じてこれはOK、これはダメといった知識や経験が積み重ねられてきたわけだ。いずれにせよ、ナマコが云々というのは発想としては面白いが、勇気とは無縁の話。夏目さんもしっかりしてほしいもんだ。


毒キノコを最初に食べた人を見たわけではないけど、その人がどうなったかは断言できる。死んだか激痛に襲われたのである。で、それを見たその他大勢は先駆者に感謝したか馬鹿にしたかはわからないが、「これは毒だ」という知識を蓄えたのである。現在のキノコ食は、こうした無数の犠牲者の上に成り立っているのだ、と言っても大げさではなかろう。

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