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毒キノコを最初に食べた人

執筆者の写真: tosikainatosikaina

更新日:2024年3月17日


これ一本で間違いなく死ぬドクツルタケ


「ナマコを最初に食べた人は勇気がある」とは言い古されたことだが、これは現在の感覚で古代人の食生活を判断しているだけで、全くナンセンスだ。太古の食料事情を考えれば、見た目が悪いから食べないなどという余裕はなかったはずだ。とりあえず身の回りのものはすべて、どうにかして食べるのが最優先事項であったはずだから。また、当時の人々はナマコの見た目に嫌悪感を覚えなかったかもしれない。

 一方、肉食になじんだ現代人にしても生きている牛を見て「オイシソー」と思いはしない。古代人の対ナマコ感(日本書紀)もそんなものでしょう。経験的に食用可であることを知っている、と。見た目が美味しそうだから食べてやるか、などという余裕は飢餓状態ではありえないのだ。なんであろうと、どうにかして食べなければ死んでしまう状況なのだから。牛肉にしても、それを初めて食べた人は切羽詰まっていたことだろう。何千年前のことか知らないが、「はじめて」の牛肉は霜降りステーキ300gが切りそろえて差し出されたわけではなく、死肉をおそるおそる口にしたのだろうから。

 毒キノコを最初に食べた人の勇気はさらに大変なものだ。これもまた食べざるを得なかった状況だろうから厳密には勇気とはいえないが、冒険心というか、一歩踏み出す意欲があってこそのことだ。

 キノコ食そのものがなんとなく続いていたとしても、毒キノコの犠牲者は少なからずいたはずだ。死なないまでも腹痛を訴えたりして、食べてはいけないキノコについて、ある程度は知識・経験が伝えられていたことだろう。それだけに初見のキノコについては慎重にならざるを得ない。太郎さんの採ってきたイグチは美味しかったけど、太平さんは似たようなのを食べて死んじゃった(実話・タイヘイイグチ)わけだから、キノコを食べざるをえない(ほかに食べ物がないからね)ときでも逡巡したことだろう。

 そこを一歩踏み出したのは、食べて死ぬか食べずに死ぬかといった極限状態だったからかもしれない。まさか死ぬまいと楽観していただけかもしれない。いずれにせよ、ナマコが云々というのは発想としては面白いが、なんの実態も伝えていない。

 毒キノコを最初に食べた人を見たわけではないけど、その人がどうなったかは間違いなく断言できる。死んだか激痛に襲われたのである。で、それを見たその他大勢は先駆者に感謝したか馬鹿にしたかはわからないが、「これは毒だ」という知識を蓄えたのである。現在のキノコ食は、こうした無数の犠牲者の上に成り立っているのだ、と言っても大げさではなかろう。

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